18.昔の住まいの捉え方

「昔の家」は快適さを求めるために設備を前提にしていなかったのだと思います。つまり化石エネル
ギーの使用を考えていない、ということです。
「快適さ」といっても、今の感覚の快適さではなく、その時代に求めた快適さのことです。人間であ
る以上、必ず快適さを求めるわけですから、白川郷の家にしても、京都の町屋にしても、建てられた
時代に必要な機能を組み込み、なお且つ、出来るだけ快適にすごそうとして造り上げた物だと思いま
す。
家という物は、本来、そこに長く住んでいて、立地環境を良く理解している人たちが参加して作る物
だったんだと思います。その知恵というのは、先祖が長い時間をかけて工夫して積み上げ、改良に改
良を重ねてきたもので、だからこそ完成度の高い美しい構造や仕組みを生み出したのでしょう。

しかし、今、それで良い、と言っているのではありません。昔の家、昔の生活というものは、太陽か
らのエネルギーの流れの中に浸って、それに曝されながら利用しているわけですけど、利用している
と言うよりも、エネルギーの流れの中に入れさせてもらっている、という感覚の方が正しい言い方の
ような気がしますが。
多分、今、私たちが見ている白川郷や京都の家は石油エネルギーを使わないで生活するための知恵と
工夫の宝庫なのではないでしょうか。昔の家が、落ち着きと、とても安定感があるように見えるのは、
このように数え切れないほど多くの人の知恵と工夫が積み重ねられて造り上げた、とても手のかかっ
た物だからだと思います。
ですから昔の住まいは、過去の遅れた古い技術によって作られた物でしかないなどという捉え方は、
まったく大きな間違いではないでしょうか。昔の家の「形」には太陽エネルギーを利用して、少しで
も快適にするための、明確な物理的な根拠があるのではないでしょうか。

昔の家といいますのは「風土の中から発生した住まい」といえると思います。人が作ったのですけど、
自然に代わって人が作った、という風に感じます。自然がもし作ったらどんな風に作るのだろうかと
いうことを考えながら作る必要があると思います。
そんな「風土の中から発生した住まい」という視点から見ますと、明治になって取り入れられた洋館
は単に形だけの模倣であって、目新しい西洋のものは何でも真似しようという、今にも通じる原点が
あったのかも知れません。明治から、家は単なる形に成り下がってしまったのかも知れません。です
から今の家は、見た目だけで、自然エネルギーの利用ということでは、光のことは考えますけど、そ
の他はほとんど工夫もされていない物が多いのではないかと思います。そういう風に見ると、これま
での住まいの進化って一体何だったんでしょうかね。暑ければクーラーを付ければよいし、寒ければ
床暖房でも付ければいいや、という甘えの中で考えられている現在の住宅は、多分その設計理念と設
計技術において、昔の家の足元にも及ばない物が多いのではないでしょうか。

また、昔の家で使われている素材には、一つの機能だけでなく複数の機能を持っていることが多いと
感じます。茅葺き屋根や、土壁などは典型的な例です。前に申しましたが、昔の家の暗さは快適性を
得るために工夫した明確な結果なんです。暗さは、昔の技術が遅れていたり、知恵が足りない結果で
はないんです。暗さが好きだったわけでもないのです。
エネルギーの視点から見ると、快適性を追求し工夫した結果、暗さが必然的に残ったということがわ
かります。多分、昔の家は意味不明な、説明のできない、形や、空間は無いのだと思います。坪庭も
単なる趣味の気ままな形ではなく、エネルギー的な意味をちゃんと含んでいたわけです。

21世紀にやろうとしている、省エネのヒントは、昔の家のあり方の中にあるような気がします。少な
くとも、そこに隠れた知恵と使われた素材が持っている幅広い機能をもう一度しっかり見つめる必要
があると思います。

特に私が感じるのは、昔の家というのは、いろいろな面で自立に近い形だったのではないでしょうか。
つまり生きるために、他を頼らない意志があったのではないでしょうか。「省エネ」ということを考
えて行きますと、どうしてもこういう方向になってしまいました。